惑星ソラリス 1972年
物語
近未来、未知の惑星ソラリスの軌道上に浮かぶ宇宙ステーションで異常事態が発生。その調査のために科学者クリスは地球を出発する。到着したステーション内は荒れ果て、先発の3人の科学者は皆、狂気の淵に立たされていた。そして、クリス自身も数年前に自殺したはずの妻ハリーの姿を目撃し、言い知れぬ衝撃を受ける。だがそれは、人間の意識を反映して具現化させるソラリス表面のプラズマ状の海の仕業だった……。
ロシアの巨匠A.タルコフスキー監督の作品。この映画を観るのは二度目だ。(前回は何十年も前で深夜テレビで見た。)
前回見たときは、「2001年宇宙の旅」に並べられるSF映画の名作だということで、SFファンとして鑑賞した。かなりスローなテンポで眠くなる(しかも深夜に見ているし)映画だったが、惑星ソラリスの神秘と衝撃的なラストシーンに驚かされ、なるほど名作と感心した。
今回はSF作品としてではなく、芸術映画として「惑星ソラリス」を鑑賞した。
この映画で原作者スタニワフ・レムとタルコフスキーは作品解釈で大喧嘩をしている。
僕はSF作品としても映画の出来は悪くないと思うのだが、スタニワフ・レムに言わせれば、タルコフスキーには科学的な洞察が全くなく、ソラリスが実体化させる罪の意識に焦点を当てた言わば「罪と罰」であり、原作を無視したラストシーンはレムの作品と相入れないものらしい。
スタニワフ・レムが酷評したタルコフスキーの芸術性に共鳴するのは、黒澤明監督。
実際、黒澤明とタルコフスキーはお互いが尊敬する映画監督で友人だったそうで、タルコフスキーは黒澤監督の「白痴」について原作を超えた作品性を評価している。
今、見直すとSF映画としては映像は時代がたてば陳腐にならざる得ないが、芸術性は朽ちないように思う。この点ではタルコフスキーの方がスタニワフ・レムより少し勝っている気がする。
人生で二度楽しめた映画。
※ 今年31本目の映画鑑賞