どん底 1954年
物語
黒澤明監督が、ゴーリキイの同名戯曲に材をとり、舞台を江戸の場末の棟割り長屋に移し社会の底辺に生きる人々の人生模様をユーモアも忘れずに描いた。
いきなり鐘の音で始まるオープニングが凄い。ロシアのルンペン宿が江戸の棟割り長屋に場所を変えるが、映画を観た後に原作のあらすじを調べたのだが、筋書きが思った以上に原作に忠実なのが面白い。
演劇「どん底」
黒澤監督「どん底」
三船敏朗が演じる捨吉は重要な役回りだが、あくまでも群像劇のなかの一人。劇の最後まで登場しない。役者が魅力的なので、つい捨吉のその後が気になってしまう。
主人公不在のドラマで、やたらに、いい味出していたのが、左卜全が演じるお遍路の嘉平。
嘉平は寝たきりの留吉の女房に来世の安らぎを説き、役者にはアル中を治す寺を教え、慈悲深いが暗い過去を持つ嘉平の言動に長屋の雰囲気も変わっていくが、騒動の中、彼もどこかへ消えてしまう。謎多き人物だ。
ラストでは宿の者が馬鹿騒ぎを始める。宴が盛り上がったところで、アル中の役者が自殺した知らせが入る。喜三郎が「せっかくの踊りをぶち壊しやがって」と吐き捨てるシーンで終わる。
落語の「お後がよろしいようで」みたいな乱暴な終わり方だなと思ったのだが、原作も似たようなもので、人の死ですら軽口で済ませることで、かえって「どん底」を浮き立たせる意図らしい。
マキシム・ゴーリキイ
しかし、ロシアを江戸に置き換えると、軽妙でユーモラスだ。「プロレタリア」も「風呂でどうした」みたいな調子になる。
社会に対する批判や思想色が褪せる分、人物やヒューマニズムが濃くなり、原作の持つ良さを引き出して、更に原作より良くなっているように思うのだけど、マキシム・ゴーリキイがこの映画を観たら、どう思っただろう。
※今年43本目の映画鑑賞。