金魚のうたた寝

映画、漫画、小説などの話

あゝ声なき友  

あゝ声なき友    1972 年
今井正  監督
物語
第二次大戦の終戦後、終戦後、病気入院していたため、部隊で一人生き残った西山民次は、戦友12人の遺書を抱き日本へ帰国する。西山は、なんとか食い繋ぎながら、12通の遺書を配達するべく旅に出る。行く先々で西山が見たものは、生々しい戦争の傷跡だった。

f:id:tomo2200:20190718220146j:image

有馬頼義の「遺書配達人」を読んだ渥美清が映画化を熱望し自らプロダクションを設立して松竹と共同製作した。

f:id:tomo2200:20190719165314j:image
映画が公開された1972年はベトナム戦争終結に向かい、沖縄も日本に返却されている。国内では田中角栄が総理大臣に就任して「列島改造論」に湧いていた頃で、今更、戦後の日本を振り返るような作品が興行的に成功する訳ないことは想像できただろうが、第二次世界大戦下に多感な青春時代を生きた渥美清は採算を度外視しても残したかったのだろう。ちなみに1972年邦画ヒットNo1は「男はつらいよ 寅次郎夢枕」だ。

f:id:tomo2200:20190719170945j:image

物語は、戦友に遺書を託された帰国した主人公、西山民次が、8年をかけて日本全国の遺族に遺書を届けるというものだ。売春で生計を立てる寡婦や、戦犯として巣鴨プリズンに入れらた父、芸者になったもの、空襲で気が狂ったもの、暗いエピソードばかり。さらに救いがないのは、西山が苦労して届けた遺書は、遺族に喜ばれることはない。
最後のエピソード(ネタバレながら)は、遺書を書いた本人が生きていた話である。この戦友は「戦争のことなど、もう忘れてしまえ」と、西山を叱責するのだが、これに対し、西山は、甲斐もない遺書配達を続けさせたのは「戦争への怒り」なのだと答える。なかなか深い映画だ。

f:id:tomo2200:20190719165730j:image

第二次世界大戦では日本人の戦没者数は310万人、その中で、軍人軍属の戦没数は230万人にもなる。わずか12通の遺書でも気分が重たくなる映画だが、現実には何百万もの不幸があった訳で、つくづく考えさせられ映画でした。

※今年158本目の映画鑑賞。